皆さま(✿✪‿✪。)ノコンチャ♡
鴨ネギ広報部、ヨシコです。
予告通り、前回からの続きで味噌の話です。
日本初の味噌工場を伊達政宗が作って、各地で発達していった…というところから。
徳川家康の出身地「三河」の夏は高温多湿で味噌が酸化しやすかったようで「味噌玉製こうじ」という技法(八丁味噌)が根付きました。
「信州味噌」は、海がなく塩が貴重だった甲斐の武田信玄によって製造が進められました。
江戸時代になると味噌の需要はますます増え、全国から郷土色豊かな味噌が江戸に運ばれました。
なかでも濃厚な旨味と保存性の高い「仙台味噌」が江戸庶民に愛用されていたようです。
農村では、貧乏や飢餓に遭遇しても「味噌さえあれば生き永らえる」という味噌信仰が明治時代まで続いたんだとか!!?
江戸中期になると、味噌は工業的に製造販売されたのですが、これは京都や大阪の味を真似た江戸甘味噌で、こうじの甘みと深く蒸した大豆の香味が調和し、田楽やどじょう汁などの料理に適していたようで、江戸っ子好みの味だったといいます。
しかしながら、1939(昭和14)年の戦時統制下では味噌は多量の米を使う贅沢品として禁止されてしまいました。
はい。本日は少し短いですが、ここまで。
次回は各地で発展していった、味噌の特徴について分かり易く本に書いてありましたのでこちらを紹介していきたいと思います。
もう少しだけお付き合いくださいね!
あ、意外と味噌っておもしろいかも!って思っていただけたら嬉しいです。