食に本気な大人のための「鴨ネギの会」

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味噌の話①日本初の味噌工場を作ったのはあの武将!!

皆さま(✿✪‿✪。)ノコンチャ♡

鴨ネギ広報部、ヨシコです。

 

前回からの流れで、味噌の話

と言っても、私は味噌屋さんじゃないし、詳しくないので本を参考にして少しお話していきたいと思います。

味噌のようなものが約3000年前から食べられていたのではないか?というところから。

でも、まぁそれはあくまでも「そうなのではないか?」というところで、味噌のようなものが記録して登場するのは701年大宝律令のなか。

「未醤(ミショウ)」という中国の書物にはない発酵食品が登場しています。

これは「未だ醤油にいたらないもの」と理解され、発音が「味噌」に近いことから、今日の味噌の起源ではないかと推測されています。

 

この発酵食品は、当時寺院や貴族の贅沢な貴重品。調味料として使われず、主に保存食として「おかず」のように食べられていました。

鎌倉時代になると、中国から来た僧の影響により水に溶けやすい「濾し味噌」が造られ、そこから「味噌汁」が造られるようになったようです。

武士には米を蒸した「強飯(こわい)」に味噌汁をかけたものが「汁かけご飯」として、また、炊いた雑穀に味噌汁と漬物、いわゆる「一汁一菜」の食事様式が広まりました。

(あ、ご飯に味噌汁をかけたのを“ねこまんま”って言ったりしません?ウチだけかな?)

 

さらに室町時代になると、大豆の生産量が増えて庶民の間でも自家製の味噌が造られて一般食となるとともに各地で発達していきます。

強飯に多彩な味噌を調味料にして煮た「味噌雑炊」が流行したようです。

 

室町時代になるとようやく大豆の生産量が増え、庶民の間でも自家製の味噌が造られて一般食とともに、各地で発展していきます。

 

戦国時代には各地の武将が保存性と栄養価の高い味噌を兵糧や経済対策として保護育成。

皆さま、よくご存知の伊達政宗青葉城下に日本初の味噌工場「御塩噌蔵」を設立

特に干飯と味噌の備蓄に力を注ぎました。

(早わかり食の歴史書より)

 

いやぁ…まさか僧ではなく武将の伊達政宗が味噌工場を作ったなんでビックリですね。

それとも、武将好きには当たり前のエピソードなのかな???

私、日本史はさっぱり分からないんですよね。

では、本日はここまで。

お付き合いいただきありがとうございました。

次回はここからまた先の味噌の歴史……