皆様(✿✪‿✪。)ノコンチャ♡
鴨ネギ広報部、ヨシコです。
はい。もう、ご存じのとおり、本日もまたジャガイモのお話しです。
前回までの復習からはじめます。
インカ帝国からスペイン、スペインからヨーロッパ各国へ伝播したジャガイモは、
その特性から、凶作と飢餓に対応すべく食糧として戦争や革命と共に徐々に普及していきます。
中でも深く関わった戦争は、
1756~63年の7年戦争。
オーストリアのマリアテレジアがプロイセン(ドイツ)からシュレジエン奪回しようとした有名な戦争でございます。
その時、戦いに参加していたフランスのパルマンティエはプロイセンの捕虜となり、そこでジャガイモの素晴らしさを知りフランスに広めた…という説があります。
同じく、この戦争をきっかけにスウェーデンにも広く普及したといわれています。
以降、
1778年のバイエルン継承戦争においては、プロイセン、オーストリア両国が相手国のジャガイモ畑を荒らすことを重要戦略としておりバイエルン継承戦争のことを「ジャガイモ戦争」と呼んだりしています。
ヨーロッパへ渡ったジャガイモが、200年後には戦争の勝敗を左右する存在になっていたというのには驚きですよね!!
恐るべしジャガイモ( ゚Д゚)b
もっといろいろ書きたいところではありますが、とりあえず割愛して…
ジャガイモは異常気象による凶作、戦争・革命、そしてその後の産業革命時において、「貧者のパン」として世界の多くの人たちを救うのでした。
しかし!!良いことばかりではありません。
ここでジャガイモを最初に「主食」にしたアイルランドについて少し。
はい。
最初に主食にしたのはドイツじゃなくてアイルランドでした。
それによりアイルランドの人口は大きく増加。
1760年の人口は150万人で、1841年には約800万人となります。
めでたし、めでたし…の、はずだったのですが…
皆様、ジャガイモの唯一の弱点、覚えておりますでしょうか?
そう!
ジャガイモは病気に弱い。
1845年ジャガイモ疫病が発生。
ジャガイモ単作だったアイルランドでは大飢饉に見舞われます。
1841年からの増加率からすると1851年には約900万人になる予定の人口が、この大飢饉により約650万人まで減少。
減少した250万人のうち、150万人が飢餓とそれに関連する病で死亡し、
うち100万人が移民として国を出ました。
どこへ?
アメリカへ!!
このアイルランド移民により、それまで以上にアメリカでもジャガイモが広がります。また、移民の子孫からケネディ大統領やレーガン大統領が誕生する…ってのも、歴史の面白いところですが、やはり長くなるのでここでは割愛します。
ちなみに、アイルランドでは現在でもジャガイモが多く食されています。
前回のランキングには書いていませんでしたが、一人あたりの消費量は10位にランクインしているんですよ!
ではでは、ランキング上位を独占していたロシア・ソ連のジャガイモの事情はどうだったのか?
気になるところではありますが、そろそろ長くなってきましたのでそれはまた次回にしたいと思います。
(いつまで続くんだ?笑)
すいません。歴史は次回で最後にしますwww
ということで、本日もお付き合い頂きありがとうございました。