食に本気な大人のための「鴨ネギの会」

”蔵元と消費者と飲食店”が夜な夜な美酒を嗜む秘密の酒会

納豆と新潟について調べてみた(納豆と新潟の歴史)

皆さま(o´ノωノ`o)コンニチ…ヽ(o´・∀・`o)ノワァ♪

鴨ネギ広報部、ヨシコです。

予告とおり、納豆について書いていきたいと思います。

まずは、納豆の歴史について(歴史大好き)

 

実はですね。

納豆の起源については謎とされています!!

なので、諸説ありますので簡単にご紹介しましょう。

 

  1. 古代偶然説弥生時代にあったと推測。藁で編んだ敷物に大豆が落ちて納豆になった…という。ハチミツをツボに入れといたら偶然発酵してお酒ができた…的な内容に似てますね。
  2. 聖徳太子…愛馬の餌に煮豆を与えていて、余ったヤツを藁に包んで保存していたら納豆化していた…とのこと。
  3. 源義家…この説の伝承が、新潟を含め各地に存在します(後述します)
  4. 光厳法皇…南北時代、光厳法皇が村民に藁苞納豆の製法を伝えた。
  5. 加藤清正…熊本の加藤清正が朝鮮へ渡った際に煮豆を俵に入れて馬の背に乗せていたら発酵して納豆になった。

と、まぁ、これだけありました(最後の方は決して面倒くさくて省略したわけではありませんw)

 

では、上記3の源義家説と新潟がどう結び付くのかお話します。

 

【納豆発祥(新潟説)】

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新潟市北区の町字太夫浜(たゆうはま)」

新潟市民の方でしたら聞けば「あぁ、あの辺りね」とご存知の方も多いと思います。

新井郷分水路右岸の海岸砂丘に位置する場所です。

この町字の由来は、源義経が乗ってやってきた馬が「太夫黒」といい、この浜で死んでしまったことからそう呼ばれるようになったそうです。

そして、その時に村人が太夫黒に餌として「豆」を用意していたのですが、死んでしまったために、豆は藁に包んだままになり、それが発酵して納豆になった(納豆の発祥)と言われています。

(新潟観光・文化検定公式テキストより)

 

しかしながら、同じような伝承は水戸納豆でお馴染みの茨城県(世帯別納豆購入額1位)など、各地にあります。

 

どういうことかと言うと、源義家説では義経が戦で訪れた各地に納豆発祥の伝説を残しているんです。

そこから、戦の時に行った地域に納豆文化が根付き、逆に訪れなかった地域には納豆文化が根付かなかったのではないか?という見解がだされています。

 

余談ですが、調べていたらネット上に出てきた「納豆学会」。主宰者は新潟の方でした(笑)

納豆発祥が新潟とする説を解いたり、納豆学会立ち上げたり……

 

新潟県民、やはり納豆好きなのか(゜ロ゜)???

 

さてさて。

諸説は諸説で謎は謎なので、解明は専門家(?)に任せて話を進めます。

ともあれ納豆が庶民に定着したのは江戸時代(1643年頃)

呼び売りが始まり、ザル納豆をマスで量り売りしていました。

 

それから時が流れて。。。(このあたりの事も書き出したら止まらなくなるので今回は割愛しますね)

 

で。納豆が国民の注目を浴びるようになったのが昭和60年代になり、納豆の健康成分が発見されてから。

はい。

意外と最近(゜ロ゜)b

 

コロナん時もそうでしたけど、なにかってゆーと「納豆は身体に良い」って紹介されますよね(トマトとか味噌とか…そんな立ち位置なイメージ)

 

はい。

以上、納豆と新潟の歴史についてお話しました。

次回は新潟にあります納豆のメーカー(山ノ下納豆)について書かせていただきます。

 

お付き合い頂きありがとうございました(*゚▽゚*)ノ